はらわた畑でつかまえて

はらわた(@HRWT_105)の自己顕示欲と承認欲求の顕著なあらわれ

終末の微笑

半年以上振りにブログですこし長めの文章を書いてみることにする

 ”文章”などと謳っているが、広大なネットの海に沈みゆくだけの、雑多で他愛のない戯言の寄せ集めに過ぎない。体裁だけは文章として取り繕ろうとしてはいるものの、ブログという媒体を利用しただけの……そう、Twitter上の私とさして変わらない……無知で厚顔無恥低能野郎の言葉の掃き溜めだ。だれかに読まれないことを望んですらいる。しかし、何故唐突にも書こうと思い立ったのかといえば、この半年あまりの間で、私を取り巻く環境を含む私自身に、ある特定の意味合いに於いての変革があり、その備忘録としてだ。暇だったからじゃあ無いよ。断じて。暇だったからじゃないもん。

 ここ半年以上、私を突き動かしていたのは、以前とは違い、薬でも所謂”死に至る病”でも根深い劣等意識でもなく、ただ「身の丈に合った幸福を、愛するひとと共に享受したいという情動」だけだった。それは多くの場合衝動的で、歪んでいて、私があまりに未成熟で自己愛に満ちた欠陥人間だといやと言うほど思い知らされた。自身を動かす原動力の筈だというのに、そこまで壊滅的であれば、結果は自明だ。自分本位の行動ばかりで、最愛の人に多大な苦痛を与え続けてしまった。どう償ったらいいかわからないし、時間が戻るなら戻して欲しいと願っていた。それでも、私はあのひとと関わっているだけで身に余るほどに幸せで(直前の記述を読むと好き勝手に振舞っていた私だけが幸福だったように見える←この記述も保身のように見える)けれど、あのひとも幸せだったと言ってくれていた。だから、遠距離に付き物の、会うとき必要な資金を稼ぐため働くことも全く苦ではなく、寧ろ、幾つかの職種で働いたのは多少の社会経験となっただろうし、今期から大学へも復学し、少しでもあのひとの近くに行く為に他大学の院に行くという明確な目標も出来、何より皮肉なのは、たった半年程で、ずっと引きこもりまがいの糞メンヘラだった社会不適合者の私が、一応は社会復帰してしまったことだ。まだこの先は長いし不安だけれど、ここまで来れたのは、あのひとのお陰に他ならない。私は、あのひとに至上の幸福を享受させて貰い、お陰で前向きに歩きはじめることができたというのに、私はあのひとに一体何ができたのだろうか?後悔は尽きることはない。同時に感謝も尽きることはない。結局なにも返すことが出来なくて、申し訳ない。

私なんて最初からいなければよかったのではないか?