はらわた畑でつかまえて

はらわた(@HRWT_105)の自己顕示欲と承認欲求の顕著なあらわれ

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

 

 

私は卑小な人間だ

身の丈に合った幸福を享受することも出来ないのは、私の度量の小ささ故だろう

敷衍すれば、私は無知蒙昧で厚顔無恥で、その癖自尊心だけは強く、他者に虐げられることを心の底から嫌い、かと言って他者に勝る何かがある訳では無い。

もしも魔法が使えたなら、その力で、絶対不可侵の象牙の塔に籠り、好きなことを究めて生きていきたい……享楽的な生活などよりも、自己の研鑽こそが私の喜びであり幸福なのだ、と言っても言い過ぎでは無いだろう。

しかし私は卑小な人間だ

何かを究める能力も無ければ意志の力も薄弱で、ついでに思考障害だ

もしも魔法が使えたら、前述のような他者とは隔絶された領域に籠ってどうこうする前に、自らの無能力を、無知を、つまりは自らを他愛のない欠陥人間たらしめる卑小さを打破しなければなるまい。

 

 上に述べた事柄だけでもわかると思うが、私は他者と自己を比べ、優位に立っている時に幸福を感じるように思える。卑小であるとか偉大であるとかの尺度は、他者がいてはじめて成り立つものだ。自己の研鑽などと仰々しい物言いをしたが、単に他者より上に立つための知識や経験、技術を得たいというのが本心だ。言い換えれば、他者に対する自己の優位性こそが私の幸福なのだ。

 こんな人間が幸福になるための魔法を挙げるとすれば……ひとつは自分より能力のある人間を殺す攻撃魔法だが、無能の私より能力がある人間を全員殺してしまったら、生き残る者は極わずかだろう。ならばどういった魔法が私の望みを叶えてくれるのかと考えてみると、ある分野において秀でた他者の能力(知識などを含む)を奪う魔法ではないだろうか。例えば高名な画家にこの魔法を使えば、不可逆に私に画力がコピーされる、といった具合だ。こういった行為を繰り返し、私の能力を底上げしたり、気に入らない人間からすべてを奪ったりとなかなか楽しそうだ。

……やはり私は卑小な人間だとつくづく思う