はらわた畑でつかまえて

はらわた(@HRWT_105)の自己顕示欲と承認欲求の顕著なあらわれ

罪と罰(要修正)

ある人の受け売りだが、"人間が犯す罪やそれを裁くための罰、また倫理や規範は、往々にして人間が元来起こしやすい行動やそれによって生じる不利益を防ぐための予防線のようなもの"だという。

ヒトは、自然な状態では利己的で、自らの欲望に忠実だ。また、楽な手段をもってその欲望を満たそうとする筈だ。

例を挙げると、いわゆる、闘争状態…資源の奪い合いだ。それを制限する規定がなければ、手をかけて作物や家畜を育て、糧にするよりも、誰かが作ったものを(その誰かを殺してでも)奪うほうが簡単だろう。簡単であるが故に、多くの人間はそういった行動を起こしやすいのだ。

しかしながら、万人が好き勝手に行動していては、万人のもとに大きな不利益が生じてしまう。前述のような有限の資源の奪い合い・闘争を続けた場合、いずれは家畜、野生動物、作物の多くは失われてしまうだろう。そうなれば、万人が飢えることになる…これが、大きな不利益の一例である。実際に、過去にそういった事例も存在する。

 そこで、無秩序な状態において人間社会全体が被るダメージを予防するために、法規制や倫理規範が作られたという訳だ。例は多くあるが、幾つか挙げるとすれば、重罪として厳罰を科すことによる、また道徳に反するとしての殺人、傷害、略奪、搾取、破壊行為、詐欺、強姦などの禁止・自然保護のため、森林伐採制限や狩猟制限、有害物質排出制限、また希少種保護法など・地域や信仰する宗教によって異なるが、特定の動物種(ヒト含む)を殺し食べることを禁ずる規範や道徳(土着思想?)・また、法治国家の設立や維持管理、インフラ整備、就労また納税の義務なども、秩序ある人間社会を成立させるための規制といえるだろう…義務を怠れば罰せられる、また社会が成り立たないのだから。

以上のように、大多数の人間は罪とされることを犯しやすく、その状態では万人が害を被ることとなる。よって、法にしろ宗教にしろ、罰則を設け、人に規範を守らせようとする。そうすれば、社会全体が受けるであろう不利益を未然に防ぎ、秩序ある社会を維持できるからだ。

…知識も文才も資料も無しに書いてしまったので、加筆修正予定です

 

ブログ開設に際して(旧ブログより転載)

全国津々浦々のはらわた信者のフロイライン達、御機嫌よう。
周知の通り、ここ一年ほど私が生息しているついったでは、一度の投稿に140字の制限があり、長文を投稿しづらい。
自己リプをして複数回にわたり文章を投稿する方法もあるが、私はこのやり方はあまり好きではないし、数千数万に及ぶような長文や画像を添付した文章の投稿にも向いていない。
また、私が足りない頭を捻って長文を書いたところで、TLに放流すれば、即座に他のツイートに埋もれ、誰も目を止めないか、適当に読み流されるのがオチだろう。糞が。
更に、全ツイート履歴をダウンロードすれば自分の過去のツイートを読み返すことも出来るが、それらは(私のツイートの殆どがその場の思い付きで呟く実の無い短文であるというのもあるけれど)記録としての意味を持たないものが多い。意義がない短文を書き続けるのも、それらを読み返すのに時間を使うのも、不毛だとすら感じる。どうせ思考を言語化し記録するのなら、振り返った際に書いた当時の考えなどを感じ取れるような形で残しておきたい。
もっと言えば、SNSの性質上、ついったではフォロワーが読むこと(所謂ウケること)を前提として書かざるを得ないし(はらわたさんのツイートがウケるか ウケないかは別として)、彼らとのコミュニケーションの手段という意味合いが強いツイートに、自己の記録としての価値を求めること自体が誤っているように 思う。とは言っても全くそういった価値がないとも言えないけれど。その辺の話はそのうちまた書くかもしれない。書かないかもしれない。
ここで本題。ブログという形であれば、文字制限を含む上記のようなSNSにおける制約に囚われずに長文や画像などを投稿でき、そのページ内に文章を留めて おくことが出来るし、書いた日付やカテゴリーなどから辿れば過去の投稿も簡単に読むことが出来る。そのため、記録・備忘録として扱うことに関しては、ブロ グはついったより優れたツールであると言える。そういう訳で、ブログを始めることにした。

……と、ここまで書いたことはブログやついったを使う上での前提に近いことだし、私が無い文章力を使って文字に起こすまでも無かったような気がする。でも折角書いたからみんな褒めて褒めて。褒めろ。
ただ、上の文中で私の主観が大いに介入しているのは、ブログもSNSと同じくネットに公開するツールであるのに関わらず「文章化した自分の考えを記録す る」という、自己満足に近い使い方をするものとして扱っているところだ。ただの記録なら一人で日記でも書いてろって感じだ。
それなのに何故私が非公開の日記で完結せず、こうした形で書いたものをネットの海に垂れ流すのかと言えば、読み手がいなければ書く張り合いがないから…つまりは承認欲求を満たすためだろう。
このブログの読み手はおそらく全員がついった上のはらわたのフォロワーだろうし、私もそれを前提に書いている。つまり、ここに記す文章はツイートの延長だ と言える。「SNSの制約が~云々」などと否定的に書いておきながら、フォロワーに読んで貰うこと、また彼らからのレスポンスを期待している訳で、結局私はただのかまってちゃんなのだ。ごめんへら。

読んだらコメント寄越せよ最高で最低なメンヘラ共……