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はらわた畑でつかまえて

はらわた(@HRWT_105)の自己顕示欲と承認欲求の顕著なあらわれ

声あるものは……(要修正)

たぶん駄文 なまもの

鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり。

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 仰々しい引用から始まってはいるが、本記事の内容は「爬虫類・両生類・奇蟲など、飼育してきた生物の”餌”を自家繁殖する際に私が思ったこと☆」といった、皮相浅薄なものである。人によっては載せる写真や内容に嫌悪感を抱くと思われるので、ゲテモノが苦手なフロイライン達は注意されたし。

※下記の記事に飼育生物の写真がすこし載っているので、それらに生理的嫌悪・拒絶感を催す方々は本記事を読まないことをお勧めします

harawatadempa.hatenablog.com

 

 所謂”エキゾチックアニマル”と呼ばれる小動物を飼育していく上で、最も大きな課題のひとつとなるのは、彼らの餌の確保であろう。たとえば小~中型の肉食性のトカゲ(以下:飼育生体)であれば、殆どの場合、生きた昆虫を餌として与える。最も代表的なものとしてはコオロギ(フタホシコオロギ、ヨーロッパイエコオロギ等)幼虫の類(ミルワームシルクワーム、ハニーワーム等)そして、ゴキブリデュビアマダガスカルゴキブリ、レッドローチ等)などである。これらの生餌は、ネット通販やペットショップなどでも手に入るが、餌として飼育生体に安定供給すること、栄養面、また飼育する上でのランニングコストを考えれば、自家繫殖させる方が利点が大きいと考えている。その場合、最も繁殖が容易かつ、初齢~成体までサイズが豊富なのが、卵胎生ゴキブリの類である。それらの種は、読んで字の如く、卵鞘を体内で孵化させ、初齢幼体を「出産」する。大雑把に言えば、ケージに入れておくと勝手に殖える。繁殖が軌道に乗れば、トカゲに限らず昆虫食・雑食の生体を複数飼育したとしても餌には困らないし、ゴキ共に栄養豊富な餌を与えておけば、飼育生体の生育にもよい。そして、個人的に最も楽しいのが、ゴキ共のコロニーから小さい(亜)成体、色が気に食わないものなどを”間引き”して飼育生体に餌として与え、最強のゴキブリコロニーを作り出すことである。もう、トカゲやタランチュラを飼っているのか、ゴキを飼っているのかわからなくなってくる。しかし、ケージ内であまり動かない・成長が遅い・変化に乏しい変温動物(さながらニート)たちよりも、ライフサイクルが短く活発に行動し殖えてくれるゴキブリさまのほうが見ていて飽きないのは当然だよね

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ゴキ軍団と捕食シーン

  しかしながら、ゴキを餌として飼育できるのは、昆虫食・雑食かつゴキ(+栄養添加)で生きていける生体に限る。当然、極一部の例外を除けば恒温動物食の蛇の餌にはならないし、トカゲにしても大型の種は虫なんぞより肉を喰う。そこで、そういった種には齧歯目などの哺乳類や鳥類といった恒温動物を与える。大抵の場合は、通販やネットで冷凍されたものを買ってストックしておき、解凍して与えるのだが、上述のとおりゴキブリーダーとして生餌繁殖の楽しさに目覚めてしまった私は、マウス(ハツカネズミのアルビノ)とラット(ドブネズミのアルビノ)の繁殖を始めた。

   愛玩動物としても飼われることもあるマウスやラットを(それも生きたまま)蛇や蜥蜴に与えることに抵抗のある方々も多いようだが、私には理解できない。というのも、可愛いくて頭の良い哺乳類(声あるもの)といえど、餌として繁殖された彼らは餌以上の価値を持ち得ないからだ。あくまで私が飼っているのは蛇や蜥蜴(声なきもの)であり、餌の繁殖の楽しみこそあれど、繁殖の目的は飼育生体に喰わせるためだ。そこに声の有無などは無関係で、ただ私が恒温動物食の生物のために齧歯類を育て、糧にするというだけのことである。更に、上記の引用に即して付け加えるならば、幸福や憐憫の情などという観念は人間が生み出したものであって、生物を屠殺することにかんして、自らに近しい種か否かといった差異によって抱く感情が異なるということを、身勝手にも悲しみがどうとか幸いだとか意味付を行っているに過ぎない。声があろうが無かろうが、殺されるものにどういった感情を抱こうが、彼らの死は食物となるための死であって、それ以上の意味など、考えるに値しない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終末の微笑

たぶん駄文

半年以上振りにブログですこし長めの文章を書いてみることにする

 ”文章”などと謳っているが、広大なネットの海に沈みゆくだけの、雑多で他愛のない戯言の寄せ集めに過ぎない。体裁だけは文章として取り繕ろうとしてはいるものの、ブログという媒体を利用しただけの……そう、Twitter上の私とさして変わらない……無知で厚顔無恥低能野郎の言葉の掃き溜めだ。だれかに読まれないことを望んですらいる。しかし、何故唐突にも書こうと思い立ったのかといえば、この半年あまりの間で、私を取り巻く環境を含む私自身に、ある特定の意味合いに於いての変革があり、その備忘録としてだ。暇だったからじゃあ無いよ。断じて。暇だったからじゃないもん。

 ここ半年以上、私を突き動かしていたのは、以前とは違い、薬でも所謂”死に至る病”でも根深い劣等意識でもなく、ただ「身の丈に合った幸福を、愛するひとと共に享受したいという情動」だけだった。それは多くの場合衝動的で、歪んでいて、私があまりに未成熟で自己愛に満ちた欠陥人間だといやと言うほど思い知らされた。自身を動かす原動力の筈だというのに、そこまで壊滅的であれば、結果は自明だ。自分本位の行動ばかりで、最愛の人に多大な苦痛を与え続けてしまった。どう償ったらいいかわからないし、時間が戻るなら戻して欲しいと願っていた。それでも、私はあのひとと関わっているだけで身に余るほどに幸せで(直前の記述を読むと好き勝手に振舞っていた私だけが幸福だったように見える←この記述も保身のように見える)けれど、あのひとも幸せだったと言ってくれていた。だから、遠距離に付き物の、会うとき必要な資金を稼ぐため働くことも全く苦ではなく、寧ろ、幾つかの職種で働いたのは多少の社会経験となっただろうし、今期から大学へも復学し、少しでもあのひとの近くに行く為に他大学の院に行くという明確な目標も出来、何より皮肉なのは、たった半年程で、ずっと引きこもりまがいの糞メンヘラだった社会不適合者の私が、一応は社会復帰してしまったことだ。まだこの先は長いし不安だけれど、ここまで来れたのは、あのひとのお陰に他ならない。私は、あのひとに至上の幸福を享受させて貰い、お陰で前向きに歩きはじめることができたというのに、私はあのひとに一体何ができたのだろうか?後悔は尽きることはない。同時に感謝も尽きることはない。結局なにも返すことが出来なくて、申し訳ない。

私なんて最初からいなければよかったのではないか?

 

なまものども

なまもの

私が今までに飼ってきた主な生物達の簡単な紹介をしたいと思ふ

そのうち、各種(個体)ごとに詳細に記述する記事も書く予定

 

・魚類

f:id:harawatadempa:20160702015704j:image f:id:harawatadempa:20160702015857j:imageポリプテルス・エンドリケリー・エンドリケリー

f:id:harawatadempa:20160702011536j:imageポリプテルス・デルヘッジ

f:id:harawatadempa:20160702011614j:imageポリプテルスパルマス・ポーリー

 

 ・両生類

f:id:harawatadempa:20160702012703j:imageコイチョウイボイモリ

f:id:harawatadempa:20160702012941j:imageアズマヒキガエル

 

・爬虫類

f:id:harawatadempa:20160702011732j:image f:id:harawatadempa:20160702020613j:imageアンボンアオジタトカゲ

f:id:harawatadempa:20160702011808j:image f:id:harawatadempa:20160702020243j:imageボールパイソン

f:id:harawatadempa:20160702012345j:image f:id:harawatadempa:20160702020303j:imageアオダイショウ

 

節足動物

f:id:harawatadempa:20160702013620j:image ゴライアスバードイーター

f:id:harawatadempa:20160702014346j:imagef:id:harawatadempa:20160702014539j:imageマダガスカルオオゴキブリ

f:id:harawatadempa:20160702014636j:imageデュビア(アルゼンチンフォレストローチ)

 

などなど…

 

 

中学生が書きそう

たぶん駄文
誰も私の救いようのない馬鹿さ加減に気付けないように、私は本物の馬鹿を演じることにした。
意思疎通の出来ない、誰も関わろうとしないであろう愚鈍な低能の仮面を被れば、珍妙な仮面を見て嗤う人間が多くはなれど、私の顔を見て笑う人間は殆どいなくなるだろう。仮面を指差して嘲笑されたところで、それは私ではないし、愚者でも馬鹿にし易いと思われる"単純で表面的な愚かさの象徴であるその仮面"を、私の生来の姿だと容易に思い込み、心の底から見下すだろう愚者を、私は仮面の下から笑うことが出来る。
非生産的な考えだ。恥も外聞もない。自身の他者に対する内的な優位性を守る為に、自らの外的な価値を地に落とすのか?

生産的だとか価値だとかどうでもいいから、私を殺すか私以外全員死ぬかしてくれ……

罪と罰(要修正)

たぶん駄文

ある人の受け売りだが、"人間が犯す罪やそれを裁くための罰、また倫理や規範は、往々にして人間が元来起こしやすい行動やそれによって生じる不利益を防ぐための予防線のようなもの"だという。

ヒトは、自然な状態では利己的で、自らの欲望に忠実だ。また、楽な手段をもってその欲望を満たそうとする筈だ。

例を挙げると、いわゆる、闘争状態…資源の奪い合いだ。それを制限する規定がなければ、手をかけて作物や家畜を育て、糧にするよりも、誰かが作ったものを(その誰かを殺してでも)奪うほうが簡単だろう。簡単であるが故に、多くの人間はそういった行動を起こしやすいのだ。

しかしながら、万人が好き勝手に行動していては、万人のもとに大きな不利益が生じてしまう。前述のような有限の資源の奪い合い・闘争を続けた場合、いずれは家畜、野生動物、作物の多くは失われてしまうだろう。そうなれば、万人が飢えることになる…これが、大きな不利益の一例である。実際に、過去にそういった事例も存在する。

 そこで、無秩序な状態において人間社会全体が被るダメージを予防するために、法規制や倫理規範が作られたという訳だ。例は多くあるが、幾つか挙げるとすれば、重罪として厳罰を科すことによる、また道徳に反するとしての殺人、傷害、略奪、搾取、破壊行為、詐欺、強姦などの禁止・自然保護のため、森林伐採制限や狩猟制限、有害物質排出制限、また希少種保護法など・地域や信仰する宗教によって異なるが、特定の動物種(ヒト含む)を殺し食べることを禁ずる規範や道徳(土着思想?)・また、法治国家の設立や維持管理、インフラ整備、就労また納税の義務なども、秩序ある人間社会を成立させるための規制といえるだろう…義務を怠れば罰せられる、また社会が成り立たないのだから。

以上のように、大多数の人間は罪とされることを犯しやすく、その状態では万人が害を被ることとなる。よって、法にしろ宗教にしろ、罰則を設け、人に規範を守らせようとする。そうすれば、社会全体が受けるであろう不利益を未然に防ぎ、秩序ある社会を維持できるからだ。

…知識も文才も資料も無しに書いてしまったので、加筆修正予定です

 

ブログ開設に際して(旧ブログより転載)

たぶん駄文

全国津々浦々のはらわた信者のフロイライン達、御機嫌よう。
周知の通り、ここ一年ほど私が生息しているついったでは、一度の投稿に140字の制限があり、長文を投稿しづらい。
自己リプをして複数回にわたり文章を投稿する方法もあるが、私はこのやり方はあまり好きではないし、数千数万に及ぶような長文や画像を添付した文章の投稿にも向いていない。
また、私が足りない頭を捻って長文を書いたところで、TLに放流すれば、即座に他のツイートに埋もれ、誰も目を止めないか、適当に読み流されるのがオチだろう。糞が。
更に、全ツイート履歴をダウンロードすれば自分の過去のツイートを読み返すことも出来るが、それらは(私のツイートの殆どがその場の思い付きで呟く実の無い短文であるというのもあるけれど)記録としての意味を持たないものが多い。意義がない短文を書き続けるのも、それらを読み返すのに時間を使うのも、不毛だとすら感じる。どうせ思考を言語化し記録するのなら、振り返った際に書いた当時の考えなどを感じ取れるような形で残しておきたい。
もっと言えば、SNSの性質上、ついったではフォロワーが読むこと(所謂ウケること)を前提として書かざるを得ないし(はらわたさんのツイートがウケるか ウケないかは別として)、彼らとのコミュニケーションの手段という意味合いが強いツイートに、自己の記録としての価値を求めること自体が誤っているように 思う。とは言っても全くそういった価値がないとも言えないけれど。その辺の話はそのうちまた書くかもしれない。書かないかもしれない。
ここで本題。ブログという形であれば、文字制限を含む上記のようなSNSにおける制約に囚われずに長文や画像などを投稿でき、そのページ内に文章を留めて おくことが出来るし、書いた日付やカテゴリーなどから辿れば過去の投稿も簡単に読むことが出来る。そのため、記録・備忘録として扱うことに関しては、ブロ グはついったより優れたツールであると言える。そういう訳で、ブログを始めることにした。

……と、ここまで書いたことはブログやついったを使う上での前提に近いことだし、私が無い文章力を使って文字に起こすまでも無かったような気がする。でも折角書いたからみんな褒めて褒めて。褒めろ。
ただ、上の文中で私の主観が大いに介入しているのは、ブログもSNSと同じくネットに公開するツールであるのに関わらず「文章化した自分の考えを記録す る」という、自己満足に近い使い方をするものとして扱っているところだ。ただの記録なら一人で日記でも書いてろって感じだ。
それなのに何故私が非公開の日記で完結せず、こうした形で書いたものをネットの海に垂れ流すのかと言えば、読み手がいなければ書く張り合いがないから…つまりは承認欲求を満たすためだろう。
このブログの読み手はおそらく全員がついった上のはらわたのフォロワーだろうし、私もそれを前提に書いている。つまり、ここに記す文章はツイートの延長だ と言える。「SNSの制約が~云々」などと否定的に書いておきながら、フォロワーに読んで貰うこと、また彼らからのレスポンスを期待している訳で、結局私はただのかまってちゃんなのだ。ごめんへら。

読んだらコメント寄越せよ最高で最低なメンヘラ共……